ピラティスの資格取得のテキストなどでは、必ずピラティスインストラクターの卵たちは、ジョセフ・H・ピラティスという人物の歴史を濃淡あれ学びます。
しかし、資格発行団体にはよりますが、「クララ ピラティス」のことを学ぶ機会はそれほど多くありません。
ピラティスインストラクターになるためには、「歴史」「原点」について学ぶことも大切ですが、それ以上に「目の前のクライアントへの指導のための知識や経験」などがより切迫しているため、それはある意味仕方のないことかもしれません。
ただ、もしクララがジョセフと出会っていなければ、もしかしたらこんなに世界中にはピラティスが広まっていなかった可能性があります。
そんな、クララ ピラティスについて、ご紹介したいと思います。

アンナ・クララ・ズエナーは1883年に、ジョセフと同じドイツで産まれました。そして、1926年にアメリカに渡る船中で、ジョセフ・ピラティスと出会いました。
二人が出会ったのは40代ですが、ジョセフ・ピラティスはクララと出会う前に、2回ほど結婚していたため、クララは3番目の奥様ということになり、生涯添い遂げることとなります。
ただし、戸籍は入れていなかった可能性が高く、いわゆる「内縁の妻」という関係でした。
ジョセフは、ピラティスマシンや器具の開発、メソッドのシステム化に尽力しつつ、もちろんレッスンも担当していました。
しかし、かなり厳しいエクササイズをしていたため、熱狂的なファンは産んでも、指導方針が合わなかったクライアントも一定数がいたはずです。
下の動画が実際のジョセフ・ピラティスの指導ですが、初心者と思わしき男性に、かなり強めの指導をしているのが分かりますでしょうか?
一方で、クララ ピラティスのレッスンは全体的に優しかったようです。
下記の動画では、前半にクララ、後半のジョセフのレッスンがおさめられていますが、クララはどちらかというと「見守る」シーンが多いです。
このようなレッスンスタイルの違いから、クララのファンが一定数以上いましたし、多くの器具の開発に時間を費やしていたジョセフよりも、現場でのレッスンはクララの方が多かったのです。

クララ ピラティスは、上記のように、いつもナース服を着て、ピラティスセッションをしていました
晩年のインタビュー記事によると、ドイツ自体に、看護師と幼稚園の先生をしていたということですが、実は「看護師をしていた」という記録が、まだドイツ側では見つかっていません。
1926年にアメリカの税関に申告していた記録は「servant」。家事使用人です。
40代までドイツにいたわけですから、看護師として実際に仕事をしていたのかもしれませんが、未だ正式な記録などは残っていません。
ただし、ニューヨークでも、私たちが思っている以上に、ジョセフ・ピラティスとクララ・ピラティスは有名人だったはずです。
クララ ピラティスが1977年5月に95歳で亡くなった際に、New York Timesでは、かなり詳細に記事で取り上げられています。
1977年5月14日のNew York Times誌の記事
・昨日、クララ ピラティスが95歳で亡くなった
・「コントロロジー」を開発したジョセフ・ピラティスの妻であった
・1926年にアメリカに来て、ドイツ時代は看護師だった
・ジョセフと一緒にピラティスジムを共同開設した
・アーティストや女優、ダンサーなど様々なクライアントを指導した
・ボディだけではなく、メンタルやスピリットの重要性などを説いていた
一般人なら、ここまで詳細に記事になるわけはありません。
クララ自身も、当時のニューヨーカー達にある程度知られていたことが分かります。

このように、クララは、決してジョセフの「お手伝い」的な立場だったわけではなく、ピラティス・メソッドのもう一人の創始者であり、ジョセフと両輪でレッスンをしていた指導者でした。
世間ではピラティスの認知拡大とともに、ジョセフ・ピラティスの写真をWebなどで見る機会が、一般的にも増えてきているように思います。
一方で、クララの存在は、他の19世紀や20世紀に活躍した女性と同様、少し過小評価されているように思います。
以前、エルダーの先生(ジョセフやクララから直接ピラティスセッションを受けていた、第1世代の先生)の講義を受けた際に、天に向かって、
「Thank you, Joe. Thank you, Clara!」
と、大きな声で叫んで、レッスンを終了していました。
その先生は何か権威づけをしたかったわけではなく、本気で「ありがとう」という想いから口にしているように感じました。

70歳前後のジョーとクララの写真ですが、立ち姿勢・佇まいが素敵ですね。
私たちピラティスインストラクターは、お二人を必要以上に神格化する必要はないと思います。
しかし、このような原点・歴史を知ることで、プロフェッショナリズムを再認識できるはずです。
もちろん、私たちが最も大切にすべきは、クライアントであったり、仕事仲間です。
しかし、「ピラティス」を名乗ってレッスンしている以上、このような歴史を紐解いていくような啓蒙活動も続けていければと思います。
ピラティススタジオBB
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